2012年9月26日水曜日

美作の歴史を歩く会 加茂町編


24.9.20 (木) 美作の歴史を歩く会 加茂町編 22人 4,665歩 約3km

 9:00津山発⇒美作河井駅9:45⇒河井駅転車台⇒松ぼうき鉄橋⇒10:30加茂町歴史民族資料館ⓟ→万燈山古墳→松渓庵文殊堂→加茂町歴史民族資料館ⓟ⇒12:30ウッディハウス加茂(昼食)13:30⇒瑠璃山日光院真福寺(美作改政一揆)⇒発頭人「直吉」屋敷⇒14:30解散⇒15:30津山着

 退職者会の「美作の史跡を歩く会」で「加茂町の史跡」に2人で参加してきた。
 因美線美作河井駅に集合し、最初に機関車の転車台を皆さんで見学する。今回は我々を含めて22人の参加だそうだ。
河井駅に集合

現役時代にスポ少でお世話になった、加茂町のS先生の説明を聞き、OBのM氏の案内で加茂町内の史跡を見学する。いずれも懐かしいお顔で、興味深くお話を聞く。

 皮河井駅舎や、ラッセル車等の転車をしていたであろう転車台を、加茂の鉄道遺産として掘り起こしたお話や、高山城(矢筈城)跡の歴史を聞く事ができた。続いて石作りの松ぼうき橋梁に下り、加茂川の上を横断する高さ20m 長さ97mの登録鉄道文化遺産(200810月指定)を見上げる。



河井からの登山も何れ挑戦したい矢筈城

因美線智和駅への鉄路
松ぼうき橋梁
 加茂の町に下って、旧加茂町歴史民族資料館で万燈山古墳の出土品の数々や、細池湿原の生い立ちなど展示品を見学し、徒歩で古墳に上がる。ここではY氏が、古墳の出土品、規模などから埋葬者は中央勢力から派遣された役人の可能性がある事などの説明があった。

 古墳から塔頭(「たっちゅう」とは、お寺の塔のこと)集落に下り県重要文化財の宝匡院塔と無縫塔を見る。現在も塔頭集落の皆さんが文殊堂とともにお祭りしておられる。


万燈山古墳

美作地方有数の古墳

宝匡院塔 無縫塔



成興寺門前

 文殊堂からウッディーハウスまで徒歩で帰る途中、文殊堂のお寺さんである成興寺の前を通る。昼食は皆さんでウッディーハウスのお弁当を戴き、それぞれ話に花を咲かせておられた。

ここでは会長Ⅰ氏より秋の県知事選挙のお話があり、自治労が推薦する一井氏を応援し、推薦要請をしない一井氏をかって連を立ち上げて応援するようになった経過報告があった。

午後からは、美作改政一揆の中心となった、瑠璃山日光院真福寺の見学に向かう。幕末の慶応2年加茂郷を中心とする一揆が津山藩に起きた事。凶作が原因となって、お上に11か条の嘆願書に纏め改政を要求し、美作地方の住民運動の先がけとなったことなどの説明を受けた。

本堂に上がらせてもらいお茶の接待を受け、一揆を告げた梵鐘が戦争に供出されたことを奥様よりお聞きする。
帰りの道で、発頭人の直吉の住居(現在は空き家になっているが、藁葺の母屋が立派に残っている。)を拝見する。
真福寺

直吉住居

お世話になりました
今回も地域の歴史と、史跡を受け継いでいる身近な集落を訪ね、古里の宝を確認できる会であった。お世話いただいた事務局長初め運営委員の方々に感謝申し上げます。

帰りは、ホームセンターにより、連れのステンドグラス大作のための板を仕入れて、15:30に帰宅する。この後16:30から2人で岡山へ柳家小三治の落語観賞に出かけ、夜は23:00の帰津となり、長い1日となった。

今日の花
ツリフネソウ

ボロギク
ツユクサ

ミゾソバ 
マンジュシャゲ 

イヌワサビ? 
ハギ

ミズヒキ
ヤブミョウガ

フイリヤブラン


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