2012年11月17日土曜日

24.11.15 (木) 美作の史跡を歩く会 大原史跡めぐり


24.11.15 () 美作の史跡を歩く会 大原史跡めぐり 17人 8,436歩 約5km

 830津山発⇒武蔵の里ⓟ1000→武蔵生家1010→平尾家1025→武蔵神社1030→武蔵の墓→讃甘(さのも)神社1041→今岡廃寺1054→ⓟ⇒大原支所ⓟ11301145大原宿1235→大原神社1247→大原支所ⓟ解散130014:30津山着
武蔵の里周辺

大原宿周辺

 退職者会の「美作の史跡を歩く会」で「大原の史跡」に2人で参加してきた。
 市役所駐車場に集合し、美作市宮本、武蔵の里駐車場に移動、そろって武蔵の里を見学する。最初に武蔵の生家で、M講師から出身地の播磨説と美作説のお話を聞き、鎌坂峠を越えて勝負の道に旅立った武蔵を想像した。
武蔵武道館

武蔵生家



吉川英治の小説を読んだことを思い出しながら、姉おぎんが嫁いだ平尾家、武蔵神社へ向かう。途中に吉川英治の句碑があり「露しとしづく 武蔵の道の 果てもなく」「さみだれや 武蔵の里の 栗の花」などゆかりの句を観賞する。

鎌坂峠入口 1Kで峠に出る

武蔵神社




武蔵と両親の墓

途中で見つけたツワブキ

 句碑や、武蔵の墓は自然石に彫ってあり、玄武岩の柱状節理が多い中国山地にふさわしい感じがする。墓の周りには、古そうな石塔がいくつもあり、鬱蒼とした森と相まって歴史が感じられる。

 次に讃甘(さのも)神社に参拝し、宮本という地名が神社の「宮のもと」に由来する事など教えていただく。

讃甘(さのも)神社
         

しばらく歩いて、今度は今岡廃寺の説明を聞く。周りは耕地整備に取り囲まれ、一見荒廃地の様相である。寺跡を示すものは、倒れかけた標柱と、草に埋もれた宝匡印塔だけである。
耕地整理に伴う発掘がされ、とても古く白鳳時代中期(7世紀)前半で法隆寺などと同じ様式の瓦が出土したそうだ。
今岡廃寺 宝匡印塔

駐車場に帰って大原支所まで移動しここからは大原の宿場町を歩く。本陣、脇本陣と見て、その保存の素晴らしさに感心する。観光客が押し寄せるのもうなずける。休憩所で昼食を取り、今度は街並み保存地区を南に歩く。

因幡街道の歴史には、先日訪ねた船上山から京都へ引き上げる後醍醐天皇が通った言い伝えもあるようだ。


鳥取→河原→用瀬→智頭→駒帰→坂根→大原






         
 吉野川に接するところに道しるべがあり、この道標が、津山森藩時代に整備された、貴重なものだと教えていただく。講師先生も他の場所の道しるべは知っていたが、この場所にあるのは知らなかったと言われて、新しい発見に興奮されていた。

ピラカンサ (ヒマラヤトキワサンザシ)

森藩時代の道しるべ

若杉峠から駒ノ尾山→後山へ続く自然歩道との接続が解らない




 ここから、国道を横切って、大原神社を見学して駐車場へ帰った。時雨の中お世話くださった幹事さん、講師先生、大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。有難うございました。


                                                                                                                                          

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