2018年5月18日金曜日

2018.5.17(木)(第28回)美作の史跡を歩く会 和気町の文化財を訪ねる

2018.5.17()(第28回)美作の史跡を歩く会 和気町の文化財を訪ねる 

曇り 1/14人 4時間 10:00から14:00 

久方ぶりの歴史を訪ねる会でした。
集合場所へ行くと久しぶりね~と挨拶された。自分ではそんなに久しぶりだとは思っていなかったのですが、長らく顔を覘けていなかったようです…(#^.^#)

後で確認したところ、2016年9月の第21回例会鶴山公園細見その1以来の様。1年9か月ぶりになる。


出発前にYU講師から美作の古道(伯耆往来)の道標新発見の情報が聴けた。「いずみやま」がホームマウンテンにしている泉山の麓、百乢を超えて養野に抜ける古道に1里塚を発見された様だ。(距津山元標5里 1/9ヶ所)


これはぜひ訪ねてみたい。百乢は大きなお地蔵様があって2・3度訪ねている。ここから奥津を遡って、人形仙麓の母子地蔵を通り伯耆へ抜ける古道らしい。


因みに津山元標は明治の初め、明治政府の日本列島物流改革基礎調査のため、美作の古道に46基設置され、確認されているものは25基、現存率54%だそうです。(津山瓦版

言われてみれば、の地蔵様と人形仙の母子地蔵は何処か共通点がありそうな気もする。詳しくは確認してないが…

百乢の地蔵様 寛政4年ごろ1792
人形仙麓の母子地蔵様 文化5年1808





話を戻します。さて今回はフジ公園で有名な和気町を訪ねます。吉井川を下り柵原から周匝を通って和気に入り、山陽本線に沿って東へ向かう。しばらく走って和気神社のフジ公園駐車場へ到着です。駐車場で今日の行程を聞き、一度和気神社を離れます。
フジ公園の駐車場で説明を受けて出発


最初の訪問地

和気氏政庁の地

和気神社を後にして来た道を下り最初に訪れたのが、和気氏政庁伝承地(和気町藤野)、その西側に大きな和気清麻呂公碑が昭和15年に(平沼騏一郎書)建てられています。


東に向かうと吉永を通り三石から船坂峠へ至る播磨・備前の古代要衝の地。吉備の豪族を和気氏が撃封する任務を与えられたのではと、興味深いMI講師の推理を聴かせていただいた。

福昌山実成寺

和気氏経塚



次に訪ねたのは和気氏の経塚がある藤野廃寺(和気町藤野)、現在は日蓮宗福昌山実成寺だ。態々、住職さんが出土した、室町時代の軒丸瓦(複弁6弁蓮華紋)を見せて下さった。


再びフジ公園に取って返し、お昼ご飯の後、歴史を歩く会30年度総会が開かれた。

今回で28回目の例会、7度目の総会は、年4回の例会を重ねて来た証。

毎回お世話くださる役員・講師に感謝しながら、実績報告と行事予定を決めた。

丁度藤の花後作業をしているシルバー人材センタの方々と一緒になり、あちらさんは昼休み。我々がお昼休憩を邪魔した形になってしまったが、快く受け入れて下さり、こちらも感謝です。
おまけのスッポン
前の日笠川にお住まいの様子?

清麻呂像の下を和気神社へ向かう

和気神社の駒猪?

和気民俗資料館へ

お昼から、先ず和気神社にお参り。猪が和気神社の狛犬の代わり、由来は清麻呂公のピンチをイノシシが助けた故事によるとお聞きする。お参り後、歴史民俗資料館でお話を聞けた。


和気清麻呂・広虫兄弟の人となりを説明していただき、僧道教の乱で、名前を穢麻呂・狭虫と改名させられた罰や、再び忠義の臣として復権したことなどを聞かせていただく。


吉備真備ゃ和気清麻呂など古くから活躍した人物がいたことに、思いをはせた。近代政治で皇国啓蒙に利用されたいきさつはあるのだろうが、地元の英雄として顕彰するのは良いことだ。

竜王山を借景にする安養寺

由加神社のラン セッコク

由加神社
お題目石

次に昨年踏破した和気アルプス竜王山の峰を借景にした安養寺。そして由加神社を見て、最後に日本最大の「南無妙法蓮華経」のお題目岩を見上げて帰路に就いた。

投稿18枚でした
今回もご覧くださりありがとう山でした。


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